国防色とファッションショー

「若いのにそんな色はやめて」

母がよく言っていた言葉

母いわく「国防色みたいで嫌」

 

リコさんの記事中、

『聞くところによると、同じものばかり食べるしかない生活が続き、それから抜け出すことができると、それをもう見るのも嫌だってほどに避けるようになる人が多いとか。』

というところでふとこのことを思い出した

サツマイモやカボチャも彼女にとってそういうものだったかもしれないが

それ以上に感じていたのがこの「国防色」だったように思う

むすめ時代に戦争を体験した母にしてみれば洋服の色というものは忘れられないのかもしれない

 

私の小さい頃のことに話をうつす

今のようにすぐ近くに安く洋服を買えるところがいっぱいあるわけでもないし

かといって思い立ってすぐにデパートでお買いものするほどお金持ちでもなければ

数か月に一度デパートで使える子供服を吟味するのは苦労でもあり楽しみでもあったようで

母が戦利品とも呼べそうな掘り出し物を買ってきた日は

帰ってから鏡の前でコーディネートのファッションショーとなる

これは使える、これはやっぱりこれとぴったりだった

と、手持ちの服と組み合わせて、買ってきたものに間違いがなかったことの確認をするのだ

(で、時には返品も厭わなかったりもする)

 

母がいなくなってからもそれはどこかに残っていて

いまでもやっぱり新しい服を買ってきたときは手持ちの服と合わせてみる

思い描いたとおりだと心の中でガッツポーズ

季節はじめやなにかの行事の前にもやっぱり鏡の前で総点検

箪笥の整理の時にもときにはそう

出会いの確認、別れの決心、それもまた自分で決めるのだね

 

いつのまにかその癖を次男が受け継いでいる

居間の三面鏡のまえに新聞紙が広げてあるときは

靴までのコーディネイトを確かめた証拠

それを片付けてないときにツレが見つけるとあなたと一緒だねと笑われる

 

子どもの頃は自分の親のことを客観的に観るなんてできなかったし

本人はどうというお洒落をするひとでもなかったので気づかなかったけど

もしかすると相当お洒落の好きなひとだったのではないかと

かなり大きくなってから気づいた

 

そんなひとにとっての戦時中というものはどれだけ苦しかったことか 

カーキ色も迷彩柄も何の気なしに着るようになっていたけれど

そんなことを思い出した時にすこしだけ胸が痛んだ