夏じまい

7月はあれこれと盛りだくさんで

ひとつきが人生のかなりの分量を占めているかのような感覚だった

8月はそれにくらべると例年通り

姪っ子が来て女の子って可愛いなと思ったことと

大学時代の友人と飲んでいろいろなことをちょっぴり考えたくらい

 

ここ数日はかなり涼しい

縁側から入る風が冷房なしで過ごさせてくれる

昨夜はうっかり寝落ちして気づいたら明け方

もういちどゆっくり寝たらホントにゆっくり寝てしまって昼近くだった

着付けの教室も一旦しばらくお休みにして

仕事もダンスの個人レッスンも入れずに

今日は思いっきりゆっくりする日

しばらく放っておいた鳥かごとその部屋の掃除をして(二男の置き土産)

納戸の荷物を少しだけ確認して

あとは夕食に何つくろうかつらつらと考え事のふりをするくらい

 

昨日は冷蔵庫に少し残っていたゆであずきを片付けるのに

白玉団子を作ってかき氷

洗ってかけていた浴衣、畳んで部屋に置いてはいるものの

もう箪笥になおしてしまおうかな

(と、書いて「なおす」が方言だったことに気づいたよ)

 

ものごとをしまうのなら少し早めの方がいい

名残りの残るそのうちにまたつぎいずれの機会にと

余裕をもって構えたい

なかなかそうもいかないことが

あまりに多すぎることも

自分のなかで十分承知だからこそ

楽しかった夏くらいにはそう微笑んでみようかとも思う

 

また暑さがぶり返したらそんなことも言えなくなるかもだけどね~

 

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fridayusaoさんの記事にでていた「家なき子

う~んと昔に読んだ記憶があるよね~と納戸を探したら

こんなのが出てきた

なぜに本ではなく紙芝居?

バンビのほうは母に読んでもらったり友達と読んで遊んだ記憶があるけど

家なき子はどうだったかな?

読み返すと昔話並みのシンプルさというか筋書を追うので精一杯の感じ

でもレミと旅芸人の老人がある種の愛情と信頼を交わしていたのは分かった

 

そういえば昔は「あんたは橋の下で拾ってきたんだから」って

何かの折にきいたか言われたかとにかく決まり文句として知ってたなあ

欽ドンのコントかなんかで

子「僕は橋の下から拾われてきた子なの?」

親「うちには拾ってきた子を育てる余裕なんかありません!」

って感じのがあって笑ったのと一緒になんだかその不安が一気に消滅したのは

幸せだったのかそれともそうでもなかったのか

いまになってみるとよく分からない