新たな気持ちで
3月9日は母の祥月命日
今年は33回忌にあたるので
直前の日曜日ということで今日法事を行った
もうとうに母のいた年月より
母のいない年月の方が長い
それでもどうしてもその割合が腑に落ちないほど
母にもらったものは大きいと年をとるほどに感じる
法事とはいえ誰を呼ぶわけでもないので
夫とふたりお寺さんを迎えたのち
夕食は近くの和食の店でちょっとだけゆったり乾杯
何もしてないのに終わった後にほっとしたのは
それなりに緊張して構えていたのかと思う
次にもし50回忌ができるとしたら
そのときには母の逝った歳をゆうに越えていることになるのだな
寿命を考えるほどではない年ではあるけれど
なにがあったとしても不思議でもない年頃に差し掛かり
法要を営めるというのは送られたひとの幸福というより
送ったものが守られて幸せをもらっているのかもしれない
などと考えてみたりする
それとも
ひととひととが想いを交わし合い幸福を分け合うように
この世とあの世でもそれは続いているのかもしれないとも思う
先日買った4月始まりの手帳
選んで白にしたのだけれどちょっと愛想無しだったので
ポケットに思い付きで絵など入れてみる
(雑誌「和楽」の付録のカレンダーを切り抜きました)
えへへ、オリジナル感が出てますます気に入って使えそう
気分で入れ替えて楽しめそうです
家に持ち帰った仕事は最低限しかはかどらなかったけど
それに付随する片付けや準備はできた気がする
自分の中でひとつひとつ区切りをつけている日々
手帳も3月4月のスケジュールは新旧どちらともに書き込んで
自分のなかで引き継ぎしているところ
そして4月になれば新たな気持ちでスタートできるかな
忘れられないことは忘れなくていい
傷ならばいつか消えるだろうし
大切に胸に刻むのなら残るだろう
そのどちらもわたしをつくってくれることに違いはない